僕はどうしても「この僕」で生きていくしかないらしい。

不自由とグラス越しの世界

 

先日のことだ。

目の調子の悪さを感じた私はコンタクトを外し帰路へとつくことにした。

目を瞑っても歩けるほど何度も歩いた道だ、少しくらい視野が悪くとも問題ないだろうと思っていたからだ。

 

時は宵の口。

冬とは思いの外夜になるのが早いものだが想像以上に辺りは暗かった。

正月ということもありまだ人の数も多い。

気をつけて歩かねば人とぶつかりそうだった。

 

勝手を知る道とはいえあまりにも視界が悪かった。

こんなにも視力が悪いと困るものなのか、と思ったほどだった。

 

人が途切れ、視界がひらけた。

足元ばかり見て歩いていた私は顔を上げる。

 

すると 知っているはずの風景は随分と様変わりしていた。

と、いうのもぼやけて見えるのだ。

街頭や建物の窓から溢れる光、車のランプ、月明かり、

 

全てが重なり、ブレて、キラキラとしていた。

 

私は少し嬉しくなった。

見えなくていいもので溢れるこの世の中で、こうも簡単に美しいものだけをピックアップすることができるとは。

 

見て居たいのか、見て痛いのか、

眼鏡をかけるのか、かけないのか、

選択肢は自分で選ぶことができる。

 

不自由の中に自由はあって、自由の中に不自由がある。

この世は矛盾だらけだからこそルールが設けられる。

 

「君はどうしたいの 君はどうなりたいの 僕は、その、わからないけれど。」

そう、世界は無責任でもあるから。

 

 

今年こそ自分を愛したい。

人のためではなく、自分のことを大切にしたい。

何年も音楽のことだけを考えて生きてきたが、今年は張り詰めすぎずに生きていきたい。

人生は夢だけでなく、日常もある。

いろいろ考えなければならないことがあるのだ。

だからこそ、今までそれなりに頑張ってきたはずだからこそ、少し肩の荷をおろしてもいいだろうか。

 

私も 人並みの幸せを感じてみたいのだ。

 

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