僕はどうしても「この僕」で生きていくしかないらしい。

新しい自分を受け入れる

 

私は幼少期に合唱団へ所属していた。

当時、高い声には自信があったもんでパート決めの時は今度こそ上に!あがるぜ!と毎回意気込んでいた。

でも最初はメゾ、最終的にはアルトになることになる。

(もっと細かく分けると1〜6の中の5でした)(1↑ 6↓)

 

先生に「私はなぜソプラノにいけないのですか?高い音も出せます!」

と直接お話ししに行ったこともある。

その時先生は「声質がアルトなんだよ。」とおっしゃった。

 

今ならそれがよくわかる。

 

今思えば高校生の受験準備期間〜大学生の頃は”アルト”から無事脱却できておおいにはしゃいでいたような気もする。

1人でマイク位の前に立つようになったのは18歳がはじめて。

それまでは大勢の中の1人として歌うのが当たり前で、時々オーディションで勝ち取ったソロパートをやるときはなんと嬉しかったことか。

 

今日はイブということでこんな話もする。

 

The Christmas songという素晴らしい曲があるが、当時クリスマスコンサート(毎年)でびっくりするほどおしゃれなクリスマスメドレー(横山潤子先生アレンジ泣くほどかっこいい)を演奏していたのですが、

何年も何年もオーディションを受け続けたけれど、どうしても受からなかった。

いつもソプラノの美しい女の子たちがそれは綺麗に歌い上げていた。

 

い、いや羨ましい〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!

 

ほんまこれ。これに尽きる。

 

その反動からなのか、The Christmas songはいっちゃん思い入れがあるわけです。

あたいも高い声出るのに〜〜〜〜!!!ソロやりたいよ〜〜!!と毎年思っていた。

 

 

 

合唱団の歌い方がそ〜〜〜んな簡単に外れるわけもなく、

大学時代はまあ〜〜〜〜〜〜〜〜も〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜うほ〜〜〜〜〜〜〜んとうに苦労しました。

理想と現実のギャップにもがき苦しむ毎日。

この時は今と なんと 真逆のことで悩んでいました。

裏声でしか歌えない、地声の音域が狭過ぎて使い物にならない。

 

本当に大変だった。

 

で、今は高い声(もはや歌全般だけど)がピアノの前に座るとのどになにかが詰まったかのように出なくなってしまうようになった。

それは病気でもなんでもなくて(声帯は診てもらった)メンタルの問題だと言われた。

レーニング不足なのでは?という疑問を解消すべく練習に打ち込んだ。

毎度毎度メモをとり、できるようになったと思えばできなくなり、、と一進一退を繰り返し気がつけばもう2年が経とうとしている。

やみくもに走り過ぎて余計迷子になったりしてる感覚がようやく出てきた。

迷子になってる時ってなんで気が付かないんでしょうね?

あっと思った時にはもう出口どころか入口さえもわからなくなってしまう。

 

そんな迷える子羊むっとに言葉をかけてくれた子がいる。

 

その子は むとが「歌が歌えていた頃に戻りたい。」という気持ちをしっかり受け止めてくれている中で

 

「戻りたかったあの頃に例え戻れなかったとしても、今、むとが踏み締めているいるステージ。そこから見える景色も意外とよかったりするかもしれないよね。」と、、

(ちょっと文面変えてます)

 

 

幼かったむとは高い声が出る自分が好きで、ほんとうはソプラノちゃんをやってみたかった。

高校生のむとは高い声が出る自分が好きで、ボーカロイドみたいに歌えることがすごいと思ってた。

大学生のむとは高い声が出るからビックバンドのボイスをやらせてもらえたし、難しい音域の広い曲を渡されてもなんにも困らなかった。そんな自分に自信があったかもしれない。

 

あまりにも長い時間好きでいた自分に会えなくなってしまって、

2年も受け入れることができなかった。

 

でも、もういいのかな、と少し思えるようになってきた。(いつまでそう思えるか不安だけどぴえんぴえん)

 

あなたの声質はアルトだよ、の言葉、今こそ信じたい。

 

 

どうか来年こそ、自分の思ったように歌えるようになりますように。